定番&人気ブランド「フレッドペリー」
フレッドペリーは、言わずと知れた有名ブランドです。
日本においては1970年にはじめてフレッドペリーが上陸。
じつは、そもそもテニスブランドとしてスタートしたブランドでもあります。
「ウインブルドンの名品・日本に上陸 … 胸に輝く栄光の16葉」をキャッチフレーズに、白を基調とした気品あるテニスウェアとして広く認知された。
1972年にはデビスカップ日本チームの公式ユニフォーム、1976年からはフレッドペリージャパンオープンとして国際テニス大会を開催するなど、テニスブランドとして確固たる地位を築きました。
そしてポロシャツブーム。
1980年代から1990年代前半にかけて若者を中心に、月桂樹のワンポイントの半袖ポロシャツが何度かブームとなり、1990年代半ばからはスポーツカジュアルウェアとして、テニスだけでなくトータルスポーツファッションを目指しました。
テニス界の英雄だった「フレデリック・ジョン・ペリー」
フレッドペリーブランドの創設者フレデリック・ジョン・ペリーは、じつは偉大なテニスプレイヤーでもありました。
英国で生まれ育ち、1930年に英国で開催されたテニス大会の最高峰「ウインブルドン大会」(全英)にチャレンジし、いきなりベスト16入りしました。
1933年には全米選手権(現USオープン)で初のシングルス優勝、1934年にはついに英国人で初めてウインブルドン大会でシングルス優勝、この後1935・36年にも優勝し、前人未到の3連覇を達成!
1934年には全豪大会、1935年には全仏大会においてもシングルス優勝を飾り、テニスをはじめてわずかの間にグランドスラム(世界四大大会優勝)を達成。
テニス界に一躍名を轟かせました。
フレッドペリースポーツウェアが事業がスタート
超一流のテニスプレイヤーとして認められていただけでなく、同時にそのしゃれたスタイルからベストドレッサーとしても認められていたフレデリック・ジョン・ペリー。
彼は引退後の1940年代後半、当時あまり優れていたとは言えなかったスウェットバンド(リストバンド)の開発を、彼の愛称“フレッドペリー”の名を入れてスタートさせました。
努力のかいあって、そのスウェットバンドは軽く柔らかくしなやかな商品として開発することができ、テニスのトッププレイヤーたちが使用し、フレッドペリースポーツウェアが事業としてスタート。
ベストドレッサーとしても認知されていた彼がこれにとどまらず、シャツの製造を開始したことはごく自然な流れでもあります。
この時はじめて正式にウインブルドンから許可を得、今では誰もが知っている月桂樹のマークが誕生しました。
そして1952年、英国ロンドンでフレッドペリースポーツウェア社が設立されました。
テニスが原点の身体にフィットするデザイン
フレッドペリーは、シャツは体にフィットするシルエットのものを製造しました。
だぶだぶのシャツが溢れていたこの時代のテニスウェアに対し、体にフィットするシャツは革新的でカッコ良く、多くのテニスプレイヤーから重宝がられました。
自らもテニス実況解説時にシャツを着用し、積極的な広告活動を行い、「月桂樹=世界最高のテニストーナメント・プレイヤー」とのイメージが確立。
人々はこぞってフレッドペリーのシャツを求めるようになったそうです。
その後もウインブルドン大会がテレビで放送され、シャツの問い合わせはますます増え、英国国内大手のスポーツショップが取り扱い、話題が話題を呼び、フレッドペリーのシャツはいつしかスポーツブランドとして確立されました。
「女王様、このシャツはフィットするのです。」
この言葉はウインブルドン開会式に来賓として招かれた、かのエリザベス女王がフレデリック・ジョン・ペリーに対し、「フレッドペリーのシャツは、ほかのシャツよりどの点で優れているのですか?」という問いに対する彼の自信に満ちた返答です。
エリザベス女王が話題にする程、フレッドペリーのシャツは英国から世界へ浸透していきました。